2010-04-06

日本人と中国人、「物欲」&「規則と文化」

日本人と中国人の違いについて「サーチナ」から2題。
ただ、2本目のコラムはどうなんだ。
こんな事例で「文化」とか「日本の教育」とか「人の気持ちを重視」とか「合理的」とか語られても・・・。

「物欲」から見る日本人と中国人の違い

 中国人ブロガーのgodforce1氏が自らのブログに「日本人と中国人の物欲の違い」と題する文章を掲載し、物欲から見た日中の違いを考察した。

 ブロガーは冒頭で、「現在の中国人はみな、強烈な物欲を有しており、すべての人が一夜で大金持ちになりたいと願っていることだろう。人びとは顔を合わせるとすぐに、どうやって金を稼ごうかと話をする」と綴る。さらに、中国はすべてがカネに向かう社会であるとし、中国人は生まれつき物質欲が強いのか?それとも特殊な社会環境がそうさせているのだろうか?と疑問を綴った。

 続けて、自身がこれまで日本人と接触してきた経験上、中国人と日本人は物欲において非常に大きな違いがあるとし、中国人から見た場合、日本人にはほとんど物欲がないように見えると指摘。

 さらにブロガーは、「日本人の消費意欲指数は15年連続で降下しているが、日本人は裕福になり、すべてを手に入れたのだろうか?」と疑問を綴る。しかしブロガーは、日本人はみなが平均的となる「社会主義国家」である以上、すべてを手に入れたということは考えづらいとし、日本人の物欲がないように見える理由を考察した。

 ブロガーは「家電や娯楽用品を含め、日本人はすべての必需品を手に入れたため」、「日本人はモノについて張り合わないため」と理由を考察したほか、日本人は中国人よりも精神的なことを追求するためだと主張し、日本人の多くが生活や健康、趣味などに興味を持ち、それらにお金を費やしていることが裏付けだとした。

 日本の長期にわたる景気低迷について、ブロガーは「日本人の物欲のなさが不景気を招いている」としながらも、中国のような物欲の強すぎる社会にも、政治腐敗をはじめとする多くのリスクが潜んでいることは間違いないと語った。(編集担当:畠山栄)
source: news.searchina.ne.jp/【社会ニュース】 2010/04/05(月) 18:42

日中間の「規則と文化」に悩む…社会の規則と人の気持ち

 一年に一度の桜の季節になり、東京にも楽しく明るい雰囲気が溢れている。しかし、私の周りで起きた二つの出来事が私を深く悩ませている・・・。

 北京から来た年上の友人は、二年前に美しく聡明な日本人女性と結婚し、周囲の人々を羨ましがらせた。今年の花見の席で彼は一人で酒を飲み、表情も明るくない。かつて幸福の絶頂だった二人は、現在「離婚協議中」なのである。事の発端は「通勤定期」という小さなものだった。彼が週末に外出する時に、奥さんの通勤定期を借りようとした。すると普段は温和な奥さんが突然顔色を変え、「これは私が通勤するためのものよ。あなたが休みの日に使っちゃだめじゃない!」と言ったのだ。これに彼は腹を立て、「日本人はどうしてそう頑固なんだ。週末は君は使わないんだから、バッグに入れておいても無駄だろう。二人の家計のために節約しようと思っているのに、そんなふうな考えではこれからやっていけないよ!」と返したのだという。

 もう一つはこんな話だ。上海から来た友人の王くんの義理の母親が、花見も兼ねて日本に遊びに来た際、一家でファストフード店に行った。「飲み放題」サービスの注文の時、お義母さんは「いらない」と言った。食事が終わり、王くんが自分の「飲み放題」のお茶の最後の一杯をお義母さんにあげようとした時、小学校三年生の娘が突然口を開いた。「おばあちゃんは『飲み放題』を頼んでいないのだから、飲んじゃだめ。そんなことをしたら店が損をする。」王くんは笑いながら言った。「お父さんが『飲み放題』を頼んだのだから、お父さんが100杯飲んでも構わないだろう?」娘は頷いた。「だから、お父さんが3杯飲んで、残りの97杯からおばあちゃんがちょっと飲むぐらい構わないだろう?」だが、娘は頑なに譲らない。最後には泣き出してしまい、食事の楽しさが台無しになってしまった。王くんは憤懣やる方ないという様子で言った。「子どもに日本の教育を受けさせたことを後悔しているよ。こんなに頑固では、将来結婚できないかも。」

 日常生活で人間の決めた規則にどう対応するかで、中国人と日本人に明らかな違いがあることは、在日中国人なら切実に理解しているだろう。中国人はどちらかというと「人の気持ちを重視」し、自分の価値観で自分の行動を「合理的」に解釈する。日本人はどちらかというと「規則を守る」ことを重視し、公共的な規則を自ら厳しく守ろうとすることによって、調和の取れた社会をみんなで作ろうとする。

 もちろん、その場の人間の考え方に合わせることは非常に重要だが、各自の価値観によって自分のやり方を押し通そうとすれば、たくさんの「不合理」が生まれてしまう。社会の規則も守り、人の気持ちも大切にしようとするのは、実に難しいことである。桜の季節に聞いたこの二つの物語は、異国で暮らす私の二十年以上に渡る様々な困惑と迷いを映した、二つの「生活の水滴」のようだった。来年の桜の季節には、深い悩みから抜け出し、澄み切った青空を笑顔で迎えたいと願っている。(情報提供:東京流行通訊)
source: news.searchina.ne.jp/【コラム】 2010/04/05(月) 12:01

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